毎月
【地上11ch】毎日 11:00~ / 14:00~ / 19:30~ / 22:00~
横浜の歴史や文化(ヒストリー)に潜んだ謎(ミステリー)を解き明かすシリーズ番組
YOUテレビの人気番組であり、ケーブルテレビを通じて全国の方にご視聴頂き、毎回たくさんの感想を頂いています。
2003年からスタートした横浜ミストリーは、制作100本を超え、毎回様々なこと・ものをテーマに「ミストリー」を発見し、歴史をひもときます。
2024.12.01~ 12月 「世界を魅了した幻の陶芸“横浜眞葛焼”」
内容
写真:初代 宮川香山「崖ニ鷹大花瓶」
個人蔵(横浜・宮川香山眞葛ミュージアム寄託)
2024年12月放送
世界を魅了した幻の陶芸“横浜眞葛焼”
かつてその技巧や優美さで世界を魅了し、一世を風靡した陶芸品「横浜眞葛焼」。明治時代に日本で製作された“焼き物”で、国の重要文化財指定はわずか3点しかなく、そのうち2点が、横浜の陶芸家、宮川香山による「横浜眞葛焼」である。
宮川香山は、明治4年、現在の横浜市南区に窯を開いた。世界に窓を開いたばかりの日本にあって、欧米の陶芸品の市場動向をいち早くつかみ、その嗜好に追いつくばかりか、流行を先取りせんとする豊かな感性。そして、世界を魅了する卓越した技術と芸術性。その全てを持ち合わせた類まれな陶芸品こそが、宮川香山の「横浜眞葛焼」であった。しかし、突如としてその名声は消え去り、「横浜眞葛焼」は“幻の陶芸”と呼ばれるようになる。
なぜ、「横浜眞葛焼」は欧米をはじめ世界で人気を博したのか?「横浜眞葛焼」を生み出した、宮川香山とは、どのような人物であったのか?そして、なぜ“幻”となったのか?その謎に迫る。
取材先紹介
宮川香山 眞葛ミュージアム
皇居 三の丸尚蔵館
15代沈壽官(鹿児島)
横浜市南区庚台 宮沢香山窯跡
横浜モンテローザ
(C)宮川香山眞葛ミュージアム
2024.11.01~ 11月 「映画館の灯は消えない~映画の街(シネマシティ) 横浜・伊勢佐木町の百年史~」
内容
2024年11月放送
映画館の灯は消えない~映画の街(シネマシティ) 横浜・伊勢佐木町の百年史~
横浜と映画の関係は古い。
明治44年(1911)、日本最初の洋画専門館「オデヲン座」が横浜の伊勢佐木町に誕生。輸入された映画が一番最初に上映されるときに使われる「封切り」という言葉はここが発祥である。 戦後、今は見る影もないが伊勢佐木町エリアには約 40もの映画館があった。
なぜ横浜では、映画文化がそんなに盛んだったのか?その謎を紐解くと共に、現在も伊勢佐木町にあるのミニシアターの奮闘ぶりを描く。
「濱マイク」シリーズを手がけた林海象監督
取材先紹介
映画監督 林 海象
横浜映画研究家 山岸 丈二
ジャック&ベティ支配人 梶原 俊幸
シネマリン代表 八幡 温子
シネマトーク代表 磯貝 友康
ナレーターは今注目度抜群の若手俳優、白又 敦さん、ディレクターは1月に劇映画が公開予定の新進気鋭の映画監督、作道 雄さんです。
2024.10.01~ 10月 「東輝庵と武渓文化~横浜に華開いた禅の文化~」
内容
2024年10月放送
東輝庵と武渓文化~横浜に華開いた禅の文化~
江戸時代、宝暦の頃、横浜市南区にあった東輝庵から、小さな文化の華が芽生えた。東輝庵とは「鎌倉禅」の祖、月船禅慧が営んだ臨済禅の修行道場であり、そこには名だたる禅僧たちが集った。そうした禅僧たちの教えを受けたのが永田村の名主、服部季璋と保土ヶ谷宿の問屋役、軽部長堅であった。やがて、その芽は「武溪文化」と呼ばれる大きな華を咲かせたのである。「武溪文化」とはいったいどのようなものであったのか?
取材先紹介
ナビーゲーター 落語家 金原亭馬治師匠
円覚寺 横田南嶺老師
宝林寺 中西成道住職
横浜市歴史博物館 学芸員 吉井大門さん
跡見学園女子大学 教授 矢島新さん
元司馬遼太郎記念館 学芸部長 増田恒男さん