ミストリー制作の裏側
「知っていそうで知らない歴史」
また、横浜ミストリーは今まで誰も見たことがない番組をつくろう、というスタッフの強い意志が貫かれていることも特筆すべき点だと思います。そうすると、番組は極めて特殊な内容になることがしばしば。「知っていそうで知らない歴史」というのは意外に多く、重要な歴史の裏側には、横浜出身の人物が活躍していたり、横浜が舞台になっていたり。 当初は、企画・撮影・編集を経た後の試写で何度も修正を重ね、放送まで何カ月もかかることも。そうして、『横浜ミストリー』自体のヒストリーを積み重ねてきました。 地域の企業様から「新入社員研修で横浜の歴史を学ばせたいので、ミストリーを上映したい」というお話をいただいたこともあり、「地区センターでの歴史講座で上映したい」というお話など、地域の皆様のお役に立てていることもうれしく思います。
土地の記憶を摘み取る
横浜開港資料館の西川武臣館長のお言葉をお借りすると、横浜には「土地の記憶」があるとのこと。その土地が持っている記憶が横浜の場合は、かなり独特でユニークだ、ということでしょうか。折り重なる襞のように歴史が積み重なり、連続している――。それを横浜ミストリーでは、包丁を真ん中に入れて切り開き、割れた襞の部分部分から洩れ出ている断片をひとつひとつ丹念に紡ぐような作業、そんな感じの番組づくりなのかもしれません。
一番詳しい人に会いに行く
番組づくりの秘訣は単純明快で、そのテーマについて一番詳しい人にお話を聞こう、というのが鉄則です。これまで130本番組を制作してきましたが、「世の中にはいろんなことを調べている人がいるんだなあ」というのが実感としてあります。そういう方々との出会いは私たちにとって、金脈を掘り当てたことと同じくらいうれしいことです。だからこそ「今まで誰も見たことがない番組」ができるのだといえるかもしれません。
番組づくりは“プチ奇跡”
今まで番組を制作してこられたのは“奇跡”というと大げさになるので、“プチ奇跡”とでもいいましょうか。小さな奇跡やちょっとした偶然の重なりでできたりします。横浜ミストリー制作にあたって、潤沢な予算や大人数のスタッフ、何十日もの撮影日数…があればよいのですが、現実にはそうもいきません。(因みに現状だと、スタッフはカメラマン、音声マン、ディレクター、ADの3~4人で、撮影は3日間として臨んでいます。)ですが、実はそうした制約があってこそ、今の番組が成立しているともいえます。制約を打開するため、アタマを使うことになります。アタマを使うことにはお金がかからないからです。とりあえず自分たちなりにアタマを絞り、天命を待つと何かしら“プチ奇跡”が起こったりします。
「幻の窯跡で世界を魅了した真葛焼のかけらを発見!」
かつて世界を魅了した陶磁器だが、戦後廃業し今はほぼ知られていない幻の釜「真葛窯」があったと思われる場所で、聞き込み調査を続けたところ、ある住居の居住者が、「庭から陶器のかけらが出る」という情報を入手。 頼み込んで庭の土を掘らせてもらったところ、今は無き「真葛焼」のかけらがザクザク出てきた。 その家の住人も、その場所がかつて世界を魅了した名窯の跡だとは全く知らないで住んでいたのだった。 そのかけらを研究者に鑑定してもらったところ、間違いなく真葛焼のかけらであると判明した。 ※番組後にその辺り一体が宅地再開発され、現在その住所は在りません。
「今は無いはずの貴重な市電の名残を発見!」
横浜市電のミストリーを計画中、かつて市電の線路があった道を隈なく歩き回って何かないか探していたところ、 インターネット上でも、専門家や博物館の話でも、もう無いと言われていた横浜市電専用の架線ポールを奇跡的に発見! 専門家などに確認したところ、本来残っているはずがないが、偶然が重なり奇跡的に撤去を逃れた奇跡のポールだという事が判明。 しかも、そのポールには太平洋戦争時の焼夷弾の痕が残されていた。 非常に貴重なものだという事がわかったため、番組放送後に、横浜市電保存館にて保存する事が決まり、現在は保存館の入り口に展示されている。
「日本のケチャップ発祥地の証拠写真を発見!」
日本のケチャップ発祥は某大手ケチャップ製造会社と言われていたが、横浜の資料館の研究員が、実は横浜は子安の小さな個人店が日本初の製造販売を行った事が判明した。 しかし、それを裏付ける写真が一枚も発見されていなかった。 そんな中、その研究員の協力を得ながら、日本で初めてケチャップを作った方のお孫さんと出会え、さらに浜松にいるご姉妹が写真を持っているかもしれないという情報を得て、一路浜松へ。 何とそこで、横浜の子安でケチャップを製造している様子が写された貴重な写真が発見された。 しかもその場所が特定できる銅像が、店の背景にしっかり写っており、本当に子安の地でケチャップが製造されていた事が証明された。 ※この発見は新聞にも取り上げられ、 現在それらの写真は、横浜開港資料館に保存されている。
番組づくりは共同作業
もう1つ番組づくりの秘訣は、スタッフとよく話し合い、ともにアイデアを絞ることでしょう。番組は1人ではすべてはできないし、いろんなスタッフの意見を聞くことで、アイデアが膨らんだりします。また、カメラマンは撮るだけ、音声マンは録音するだけというのではなく、撮影現場に限らず、その場その場でスタッフみんながアイデアを出し合える雰囲気づくりも大切です。
ミストリーにご協力いただいた地域の方々の多くは、そのミストリーの制作が終わると、また違うネタのアイデアを出してくれたり、違うテーマの詳しい方を紹介してくれたりするので、わらしべ長者のように、一つのミストリーが、次から次へと繋がって行き、かけがえのない出会いや企画が広がっていきます。
また、番組を観ていただいた視聴者様からのご感想やご意見は、全てディレクター自ら目を通しています。とても励みになりますし、次回への参考にもさせていただいています。それらは私たちにとって一番の宝物です。
これからもYOUテレビのエリアであるこの横浜・川崎の深い歴史の物語を全国の皆様にお届けできるよう、歴史をひとつひとつ丹念に紡いでいきます。これからもよろしくお願いいたします。